久松です。福島に野菜を届けに行ってきました。野菜を提供してくれた皆さん、本当に有難うございました。
23,24日とも、快晴でもう秋空。空は高く、高速道路からは左手には、はるかに磐梯山の山並み、右手にはあぶくま山系の独特な起伏に富んだ、丘のようなたおやかな山並みが、リズミカルに続いています。
それにしても福島に行く度に、なんとも言えない分からなさを感じてしまいます。会場になったビッグ・アイは、郡山の駅前にあるのですが、駅前に出てみれば、誰もマスクなどしておらず、どの店も大体開いていて、何もなかったかのように駅横のヨドバシカメラでは、盛んに商品のキャンペーンをやっていました。駅前の風景からは、郡山の人たちがいったいどんな気持ちで暮らしているのか、とても推察することはできません。それでも,もっていったGM管では、370cpm(5回平均)と出ていました。
郡山に着いたのは、一時頃。会場は、ビッグ・アイの7階にあり、23日は、延べで150~200人近くの人がこられたでしょうか?政府の安全キャンペーンが行き届いているせいでしょうか、僕が深刻に思っている度合いに比べれば、それでもまだまだ参加者が少ないように思えました。でも武藤類子さんや佐久間さんのご家族、それに夏休みの八ヶ岳を訪れた二瓶さんや今泉さんのご家族、小堀さんの友人で、新潟から八ヶ岳を訪れたことのある中学生の男の子のいる寺田さん、それに大賀さんのお嬢さん、鈴木絹江さん、放射能測定器の販売を手がけている渡辺さんや子どもフクシマの椎名さんやたくさんの福島の方々ともお会いすることができました。短い期間に、僕もずいぶん福島の友人が増えたなあと改めて思いました。
放射能測定所の人も見えていて、渡辺さんとも食品測定器のことがしばし話題になりました。
その日は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」生活村担当の椎名千恵子さんと共に、いつものように武藤さんのカフェに泊めてもらいました。椎名さんは、宮城県で有機農業をしていて、ウーファを利用してよく外国人も訪れて、やっと自給自足的生活の基盤もでき、さあこれからという時に、この原発震災にあったそうです。もうこれから何をやるという目標は立てられなくなりました。今は原発反対に邁進して、これを止めさせることなくして、前には進めません。溢れる涙を拭いながら、このままでは、この世界を子や孫たちに手渡せません。孫たちや若い人たちに申し訳なくて仕方ありません、と類子さんともども言っておられました。
また椎名さんは、原発震災後、デニス・バンクスが、日本に向けて発したメッセージのこと知っていますかと問われました。デニス・バンクスのことは知っていましたが、残念ながら震災後のメッセージのことは知りませんでした。政府や東電は、全く理がないんだから、あれでは決して未来は、開けない。真理は私たちの方にあるとも言われていました。
デニス・バンクスの日本へのメッセージ
http://d.hatena.ne.jp/siniaimacoco/20110331/1301561116
椎名さんも類子さんも、僕よりもちょっと下の世代か同じ位の世代で、70年代に流行った大野一雄や土方巽や「暗黒舞踏」や笠井叡の「精霊舞踏」の話にもなりました。今の若い人は、オドロオドロしいのはダメでしょうが、何を意味しているのかわからなかったけれど、あれでいろんな思考の枠組みを外す手助けになったと思うといった話になり、なにやら共通の時代を体験していたことを不思議に思いました。
翌朝も、雲ひとつない快晴で、午前中は時間があったので、小一時間でいけると聞いたので、かねてから行ってみたいと思っていた「あぶくま洞」に行ってみました。三春町からあぶくま洞までの道は、小高い丘のような山並みに沿って、幾重もの小さな道路が通っていて、放射能の事もしばし忘れるほど、本当に独特で美しい山里でした。「あぶくま洞」付近は、三春町よりも原発に近いのに線量も意外と低く(120cpm)で、この地に住む人は、こんな美しい場所を放棄することはできないだろうな、と思いました。改めて放射能は、本当に始末におえないもののように思いました。京大の小出さんは、3.11以降世界は、変わってしまい、もう元の世界ではないといいます。でもうっとりと風景に見とれながら走っていると、つい放射能の事など忘れてしまい、何度も、風景は同じでも以前とはもう違うのだと自分に言い聞かせなければ、なりません。どうしてこんな綺麗な自然を汚してしまったのだ、と東電や政府に対して、怒りが沸々と湧いてきます。そしてマスクをして草刈りをしている農家の人を見ると、本当に無念だろうな、その悲しみを思うと自然と涙が出てきます。そして念願のあぶくま洞。もっとひっそりとしていると思ったのですが、山腹に鋼鉄の構造物などあってちょっとがっかり。70年代にきておくべきだった。早速中に入ると、常時15度Cとのこと。洞内は40cpmと線量も低い。もっとゆっくり胴内を散策したかったのですが、洞窟にいる間に、地震でも起こったらどうしようと思い、そそくさと出てきてしまいました。8千万年かけて出来た洞窟だそうで、このくらいの地震じゃ大丈夫かと思ったのですが、身体が急いじゃううだからしかたない。
三春町での野菜村は、3時半ごろ失礼して、帰路につきました。帰り道、何箇所かのパーキングエリアで、線量を測ってきました。
郡山南 310cpm
鏡石 車中150cpm 芝生310cpm
阿武隈パーキングエリア 車中181cpm 芝生 570cpm
上河内パーキングエリア 車中90cpm 芝生 130cpm
最後に僕は、ガイガーカウンターのことが、全然分かっていません。cpm表示の意味も全然分かっていません。僕の、トンチンカンに違いない、ものすごく初歩の初歩の疑問を別のメールで書いて見ます。分かっている人や坂野さん教えてください。
久松拝
23,24日とも、快晴でもう秋空。空は高く、高速道路からは左手には、はるかに磐梯山の山並み、右手にはあぶくま山系の独特な起伏に富んだ、丘のようなたおやかな山並みが、リズミカルに続いています。
それにしても福島に行く度に、なんとも言えない分からなさを感じてしまいます。会場になったビッグ・アイは、郡山の駅前にあるのですが、駅前に出てみれば、誰もマスクなどしておらず、どの店も大体開いていて、何もなかったかのように駅横のヨドバシカメラでは、盛んに商品のキャンペーンをやっていました。駅前の風景からは、郡山の人たちがいったいどんな気持ちで暮らしているのか、とても推察することはできません。それでも,もっていったGM管では、370cpm(5回平均)と出ていました。
郡山に着いたのは、一時頃。会場は、ビッグ・アイの7階にあり、23日は、延べで150~200人近くの人がこられたでしょうか?政府の安全キャンペーンが行き届いているせいでしょうか、僕が深刻に思っている度合いに比べれば、それでもまだまだ参加者が少ないように思えました。でも武藤類子さんや佐久間さんのご家族、それに夏休みの八ヶ岳を訪れた二瓶さんや今泉さんのご家族、小堀さんの友人で、新潟から八ヶ岳を訪れたことのある中学生の男の子のいる寺田さん、それに大賀さんのお嬢さん、鈴木絹江さん、放射能測定器の販売を手がけている渡辺さんや子どもフクシマの椎名さんやたくさんの福島の方々ともお会いすることができました。短い期間に、僕もずいぶん福島の友人が増えたなあと改めて思いました。
放射能測定所の人も見えていて、渡辺さんとも食品測定器のことがしばし話題になりました。
その日は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」生活村担当の椎名千恵子さんと共に、いつものように武藤さんのカフェに泊めてもらいました。椎名さんは、宮城県で有機農業をしていて、ウーファを利用してよく外国人も訪れて、やっと自給自足的生活の基盤もでき、さあこれからという時に、この原発震災にあったそうです。もうこれから何をやるという目標は立てられなくなりました。今は原発反対に邁進して、これを止めさせることなくして、前には進めません。溢れる涙を拭いながら、このままでは、この世界を子や孫たちに手渡せません。孫たちや若い人たちに申し訳なくて仕方ありません、と類子さんともども言っておられました。
また椎名さんは、原発震災後、デニス・バンクスが、日本に向けて発したメッセージのこと知っていますかと問われました。デニス・バンクスのことは知っていましたが、残念ながら震災後のメッセージのことは知りませんでした。政府や東電は、全く理がないんだから、あれでは決して未来は、開けない。真理は私たちの方にあるとも言われていました。
デニス・バンクスの日本へのメッセージ
http://d.hatena.ne.jp/siniaimacoco/20110331/1301561116
椎名さんも類子さんも、僕よりもちょっと下の世代か同じ位の世代で、70年代に流行った大野一雄や土方巽や「暗黒舞踏」や笠井叡の「精霊舞踏」の話にもなりました。今の若い人は、オドロオドロしいのはダメでしょうが、何を意味しているのかわからなかったけれど、あれでいろんな思考の枠組みを外す手助けになったと思うといった話になり、なにやら共通の時代を体験していたことを不思議に思いました。
翌朝も、雲ひとつない快晴で、午前中は時間があったので、小一時間でいけると聞いたので、かねてから行ってみたいと思っていた「あぶくま洞」に行ってみました。三春町からあぶくま洞までの道は、小高い丘のような山並みに沿って、幾重もの小さな道路が通っていて、放射能の事もしばし忘れるほど、本当に独特で美しい山里でした。「あぶくま洞」付近は、三春町よりも原発に近いのに線量も意外と低く(120cpm)で、この地に住む人は、こんな美しい場所を放棄することはできないだろうな、と思いました。改めて放射能は、本当に始末におえないもののように思いました。京大の小出さんは、3.11以降世界は、変わってしまい、もう元の世界ではないといいます。でもうっとりと風景に見とれながら走っていると、つい放射能の事など忘れてしまい、何度も、風景は同じでも以前とはもう違うのだと自分に言い聞かせなければ、なりません。どうしてこんな綺麗な自然を汚してしまったのだ、と東電や政府に対して、怒りが沸々と湧いてきます。そしてマスクをして草刈りをしている農家の人を見ると、本当に無念だろうな、その悲しみを思うと自然と涙が出てきます。そして念願のあぶくま洞。もっとひっそりとしていると思ったのですが、山腹に鋼鉄の構造物などあってちょっとがっかり。70年代にきておくべきだった。早速中に入ると、常時15度Cとのこと。洞内は40cpmと線量も低い。もっとゆっくり胴内を散策したかったのですが、洞窟にいる間に、地震でも起こったらどうしようと思い、そそくさと出てきてしまいました。8千万年かけて出来た洞窟だそうで、このくらいの地震じゃ大丈夫かと思ったのですが、身体が急いじゃううだからしかたない。
三春町での野菜村は、3時半ごろ失礼して、帰路につきました。帰り道、何箇所かのパーキングエリアで、線量を測ってきました。
郡山南 310cpm
鏡石 車中150cpm 芝生310cpm
阿武隈パーキングエリア 車中181cpm 芝生 570cpm
上河内パーキングエリア 車中90cpm 芝生 130cpm
最後に僕は、ガイガーカウンターのことが、全然分かっていません。cpm表示の意味も全然分かっていません。僕の、トンチンカンに違いない、ものすごく初歩の初歩の疑問を別のメールで書いて見ます。分かっている人や坂野さん教えてください。
久松拝
#
by 47project
| 2011-09-25 23:47